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大阪高等裁判所 昭和31年(ネ)699号 判決 1958年7月18日

控訴人 中川菊治

被控訴人 春日大社

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、主文と同旨の判決を求めた。

当事者双方の主張は、

控訴代理人において、「(一)、控訴人は、昭和一八年から一〇年以上被控訴人の境内地内で写真業を営んできたが、被控訴人は、これに対し黙示的に承諾を与え、控訴人の営業場所附近の清掃のためスコツプ等を貸与し、その営業を許してきた。従つて、控訴人と被控訴人間に黙示による使用貸借契約が成立していたのである。控訴人が、昭和二六年九月と昭和二七年五月に被控訴人に三、〇〇〇円ずつ寄進したが、これは控訴人が境内地の使用を許容された謝礼の意味でもあつたことは、控訴人に対する立退要求問題が起り始めた昭和二八年五月頃控訴人が第三回目の寄進をしようとしたとき、被控訴人がこれを拒絶したことからこれをうかがうことができる。右のように控訴人と被控訴人間には使用貸借契約が存在し、何らの終了事由がない以上、控訴人は被控訴人境内地を使用するにつき正当な権原を有する。(二)、被控訴人は、その境内地において写真業を営むためには、被控訴人と奈良県、東大寺及び興福寺で組織する奈良公園運営協議会の承諾を要する旨主張するが、右主張の根拠である昭和二八年四月一日附覚書(甲第五号証)は、控訴人を拘束するものではない。右覚書は、その第三項において写真師の営業につき春日大社境内地には春日大社写真業組合の四名以外には許可しない、その末頃において新規の許可をしようとする場合は県社寺協議の上決定するものとする旨定めているが、右規定の基礎となつたものは、昭和二八年四月一日附春日大社宮司水谷川忠麿と右写真業組合長吉川善八郎間の境内地使用に関する契約書(甲第二号証)中第三条「春日大社は組合以外の者をして境内地において業として写真を撮影するの許可を与えない。」、第四条「組合員及び前条により特に許可を受けた以外の者にして境内地において業として写真の撮影をなす者ある時は速かに組合においてこれを排除しなければならない。」との規定であることが明らかである。しかし、右契約は私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(以下独占禁止法という。)第二条第五項に該当し、同法第三条の私的独占の禁止規定に抵触する。同法が公益に関する強行法規でこれに違反した法律状態の原因となる法律行為は保護すべきでないとする点を考慮すると、右契約は無効であるから、これを基礎とした前記覚書中の春日大社境内地内の写真師の人数制限の条項に関する限りその効力がない。

もつとも、春日大社境内地のような地域において、施設の管理、景観風致の保全その他信仰上の必要等に基き、その所有者がその使用につき制限を設けることは当然であり、そのために境内地における写真業者の数を制限することは必要であろうが、春日大社のような広大な地域において、僅々四名にのみ限ることは前記目的上必要でなく、又前記組合がその組合員以外の者の営業の途を全く奪うような契約を結ぶことは明らかに独占禁止法に違反する。従つて、被控訴人の境内地内で写真営業をするために前記協議会の承諾を要するとの被控訴人の主張は理由がない。(三)、本件訴訟の実質的原告は、春日大社境内写真業組合吉川善八郎外三名であつて、この四名が控訴人を排除して春日大社境内地における営業を独占しようとするものであつて、被控訴人はただ形式上原告としてその名義を貸しているだけである。訴訟の当事者が、自ら訴訟をする利益も必要もないのに、他人の不法な要求を実現するために訴を提起することは、法治国の国民として与えられた裁判を受ける権利の濫用である。控訴人は、元来写真業をその生活の手段として昭和一八年以来本件境内地において営業を続けてきたもので、この営業の場所を失うことは生活の重大な手段を失うことになるに反し、被控訴人は、前記覚書に反するという形式的体面的理由以外に控訴人を立退かせるにつき実質的必要はない。被控訴人は、控訴人が昭和一八年以後一〇年にわたり境内地において営業を継続していることを熟知しながら、昭和二八年四月一日控訴人に一片の通告又は警告もせずに前記組合員四名のみと前記(二)記載のような不法な契約をし、かつ同日奈良県、東大寺及び興福寺と前記覚書を作成し、その後間もなく本件訴の提起に着手したものである。以上の経過と控訴人、被控訴人の利害の権衡とを考慮すると、被控訴人が本訴で所有権に基き侵害排除を求めることは、明らかに権利の濫用である。」と述べ、

被控訴代理人において、「(一)、被控訴人が控訴人に対し黙示にもせよ本件境内地の使用を許諾したことはなく、昭和二五年頃から控訴人に対し営業行為の廃止を再三求めている。被控訴人は、昭和二六年と昭和二七年に控訴人から寄進を受けたことは認めるが、控訴人主張の趣旨で寄進されたことは知らなかつた。(二)、独占禁止法の適用を受けるものは「事業者」であることは、同法第二条第三条により明らかであつて、同法第二条第一項に「事業者」の定義が掲げられているが、被控訴人は、商業、工業、金融業を営むものでなく、その他経済的利益の供給に対しそれに対応する経済的利益の反対給付を受ける行為を反覆継続して行うものではなく、宗教法人として宗教行為を営むものであるから、右法律の適用を受けるものではない。(三)、被控訴人は、控訴人に対し、所有権の特殊な行使としてその妨害排除を請求するものであるから、何ら権利の濫用ではない。」、と述べた外、

原判決の事実記載(原判決三枚目表末行に「域区」とあるのを「区域」、同三枚目裏八行目に「名与」とあるのを「名誉」と訂正する。)と同一であるから、これを引用する。

当事者双方の証拠の提出授用認否は、控訴代理人において、乙第七号証、検乙第一、二号証を提出し、当審証人市川信治、竹村清蔵の各証言、当審における控訴人本人尋問の結果を援用し、検乙第一号証は、控訴人が昭和二四年か二五年頃被控訴人から借り受けたスコツプであり、検乙第二号証は、小路谷が被控訴人境内で営業として撮影した写真であると述べ、被控訴代理人において、乙第七号証の成立は不知、検乙第一号証が控訴人主張のように被控訴人が貸与したものであることは否認する、同第二号証が控訴人主張のような写真であることは不知と述べた外、原判決の事実記載原判決四枚目表末行の「第一〇号の一、二」とあるのを「第一〇号証の一、二」と訂正する。)と同一であるから、これを引用する。

理由

成立に争のない甲第一号証、第一五号証、当審における控訴人本人尋問の結果により成立を認められる乙第七号証、原審証人西田登(第一回)、吉川善八郎、古屋秀雄の各証言、原審における被控訴人代表者本人尋問の結果、原審及び当審における控訴人本人尋問の結果の一部(後記信用しない部分を除く。)、弁論の全趣旨を総合すると、被控訴人は、奈良市春日野町第一六〇番地の一神社境内地九四町四反一畝二一歩を所有していること、控訴人は昭和一八年頃迄写真業を営む古屋秀雄方で従業員として働いていたが、昭和一九年頃から独立して写真業を開業し、被控訴人の境内地内の一の鳥居の西方、ついでその北方博物館構内、一の鳥居の東側参道上等を転転移動して写真業を営んでいたが、昭和二三年か二四年頃から一の鳥居参道を五間位入つた附近に定着して立看板を立て三脚付の写真機を据え付け助手を使用し、その附近を写場とする固定的な写真業を開始したこと(控訴人が、右場所で立看板を立てて写真業を営んでいたことは、控訴人の認めるところである。)、控訴人は、右場所で写真業を営むようになつてから後被控訴人からしばしば同所で写真業をしないように通告されたが、依然として右営業を継続し、仮処分により右場所で写真業をすることを禁止された昭和二九年一一月頃迄右営業を営んでいたことを認めることができる。被控訴人は、控訴人は被控訴人に無断で右境内地内で右営業をしていると主張し、控訴人は、昭和一八年頃から右境内地内で写真業を営み、被控訴人から営業場所附近の清掃のためスコツプ等の貸与を受けたり、被控訴人から右境内地の使用を許された謝礼の意味で、昭和二六年九月と昭和二七年五月に被控訴人に三、〇〇〇円ずつ寄進した事実があるから被控訴人は、控訴人が右境内地で写真業を営むにつき黙示の承諾を与えたものであり、控訴人と被控訴人間には使用貸借契約が成立したと主張するので考える。控訴人が、昭和一八年から右境内地を固定的な営業場所として営業を営んでいたとの主張にそう原審証人増田楢太郎の証言、原審及び当審における控訴人本人尋問の結果は、前掲の証拠と対比して信用できないし、他に右主張事実を認めて前記認定をくつがえすに足る証拠はない。当審における控訴人本人尋問の結果により、控訴人が被控訴人の警務係竹村清蔵から借り受けたものであることを認められる検乙第一号証、右本人尋問の結果によると、控訴人は、被控訴人に本件境内地内における写真撮影業の許可願を出した後の昭和二五年か二六年頃被控訴人の警務係竹村清蔵からスコツプを借り受け一の鳥居附近の道路や溝の清掃をしていたことを認めることができる。当審証人竹村清蔵の証言中右認定に反する部分は信用しない。しかし、竹村清蔵が控訴人に右のようにスコツプを貸したことから、被控訴人が控訴人に一の鳥居附近の境内地内で業として写真撮影をすることを黙示により承認したと認めることはできない。控訴人が被控訴人に対し、昭和二六年九月と昭和二七年五月に三、〇〇〇円ずつ寄進したことは、被控訴人の認めるところであるが、成立に争のない乙第一、二号証、原審証人西田登(第一回)、当審証人市川信治の各証言、原審における被控訴人代表者本人尋問の結果によると、控訴人が寄進した昭和二六年九月の三、〇〇〇円は、近衛文麿供養平和塔建立のための寄進金(乙第一号証)であり、昭和二七年五月の三、〇〇〇円も被控訴人に対する単純な寄進金であつて、被控訴人は、右金員をいずれも通常の寄進金として受領したが、昭和二八年四月頃になり、控訴人が被控訴人に対し謝礼の意味で寄進する意思を持つていることを知つたので、その際は控訴人から寄進を受けることを拒絶したことを認めることができる。原審及び当審における控訴人本人尋問の結果中右認定に反する部分は信用しない。そうすると、被控訴人が、控訴人から右のように二回にわたり寄進を受けた事実から、被控訴人が、その境内地内で控訴人が写真業を営むことを黙示により承認したと認めることはできない。原審証人吉川善八郎の証言により成立を認められる甲第二、三号証、第八号証、原審証人竹下晤の証言により成立を認められる甲第五号証、第七号証、成立に争のない甲第一〇号証の一、二、原審証人西田登(第一、二回)、吉川善八郎、古屋秀雄、植平義三、矢川敏雄、竹下晤、原審及び当審証人竹村清蔵の各証言、原審における被控訴人代表者本人尋問の結果を総合すると、西川松太郎、古屋市太郎、吉川善次郎及び中村朝太郎は、昭和六年二月春日神社境内写真業組合を結成し、被控訴人において写真撮影を禁止している被控訴人境内地西端の一の鳥居以東馬止橋迄の参道、該参道の左右五間の範囲と御旅所、二の鳥居以東の写真撮影禁止区域を除いた境内地内で被控訴人に使用料を支払つて写真業を営んできたが、その後組合員は吉川善八郎、西川弘一、古屋市太郎(実際上息子古屋秀雄が営業している。)、中村朝太郎となり、昭和二八年三月二一日組合規約(甲第三号証)を定めたこと、被控訴人は、同年四月一日右組合と境内地使用に関する契約をし、右組合に対し前記写真撮影禁止区域以外の境内地内において業として写真を撮影することを承認し、組合は被控訴人に使用料一ケ年三〇、〇〇〇円を支払うこと、被控訴人は特に必要と認めた場合の外は組合以外の者に境内地において業として写真を撮影することを許可しないことを約したこと(甲第二号証)、奈良県、東大寺、興福寺及び被控訴人は、県立奈良公園、右各社寺境内地相互の管理運営の一貫を図るため、奈良公園運営協議会をつくり、県立奈良公園、右各社寺の境内地を含む通称奈良公園の運営に関する覚書(甲第五号証)を作成し、県立公園、各社寺境内地における写真営業者の許可人員を定め、被控訴人境内地の写真営業者の許可人員を四人と限定することを協定し、これを変更する場合は右県、社寺協議の上決定する旨定められたこと、被控訴人は、これに基き前記組合の組合員四名のみにその境内地において業として写真撮影をすることを許したこと、控訴人は、前記のように被控訴人の境内地で写真業を営むようになり、昭和二四年頃から被控訴人に対し、自ら又は人を介し数回右境内地における営業許可の申込をしたが、被控訴人は、以前から前記組合に営業を許可していた関係上右申込を拒絶し、かえつて控訴人に対し、たびたび右境内地内で写真業を営まぬように申し入れてきたことをそれぞれ認めることができる。そうすると、控訴人は、被控訴人の境内地内で写真業を営むにつき、控訴人主張のような使用貸借契約に基く権利は勿論その他の権利がないのに、その境内地の一部である一の鳥居の東側参道附近で業として写真撮影をし、被控訴人の右境内地に対する所有権を侵害していることが明らかである。

控訴人は、本件境内地は、被控訴人の所有であつても、春日大社を景仰する不特定多数人の出入自由の大衆的広場で排他性のない所有地であるから、民法の所有権観念を以て律し得ないもので、右場所において大衆の求めに応ずる写真撮影行為をすることを何人も排除することができないと主張するので、この点につき判断する。成立に争のない甲第六号証、原審証人竹下晤の証言、原審における被控訴人代表者本人尋問の結果によると、被控訴人所有の本件境内地が、県立奈良公園、東大寺、興福寺、奈良博物館の各境内地とともにいわゆる奈良公園を構成し、観光参拝のため一般に公開された場所であることを認めることができる。しかし、公開の公園であつても無制限に一般の使用を許さなければならないものでなく、施設の管理、風致保持のため一般の共同使用につきおのずから制限を受けることがあることは当然である。特に被控訴人神社の境内地のように主として宗教上の目的に供せられるものにおいては、信仰上の必要性に基く制限を受けるものというべく、右境内地内における写真撮影は、おのずから宗教信仰上の見地からその場所及び方法を制限されることもまた己むを得ないものといわなければならない。控訴人の営む写真業は、場所的使用を伴う営業で観光客や信仰のために参拝する者をその撮影の対象とするものであつて、露天行商の類と共通する性質の一面を備えているのであるから、一般の観光客や参拝客がする写真撮影とは性質がちがつており、前記公園としての施設風致の維持、神社境内地としての尊厳性の保持に影響するところが甚大である。従つて境内地の所有者である被控訴人において所有権に基き右目的にそうように適当に制限を加えることができるものと解すべく、一般の観光客が境内地内で写真撮影をすることが認容されているからといつて(勿論この場合においても特定の場所における撮影を禁止することはできるものと解する。)、控訴人が業として被控訴人の境内地において写真撮影をすることが許容されるものと解することはできない。被控訴人が、前記のような目的から奈良公園運営協議会の協定に基き、前記春日神社境内写真業組合の組合員四名のみに被控訴人の境内地における写真業を許可し、右組合員以外の者に写真業を営ましめないようにしたことは、当然の措置といわなければならない。被控訴人が控訴人に対し、右境内地内で写真業をすることを禁止することは、所有権に基く当然の権利であつて、これを以て一般公開の神社境内地の所有権の性格に反するものということはできない。このことは、控訴人が、その主張のように写真撮影業者として顧客に対する応待処置やその使用する被控訴人の境内地の保全に欠けるものがないとしても同様である。従つて、控訴人の右主張は採用できない。

次に、控訴人の(二)の主張につき考える。前掲甲第二号証、第五号証によると、奈良公園運営委員会の定めた覚書(甲第五号証)第三項及び末項と、昭和二八年四月一日附春日大社宮司水谷川忠麿と春日大社境内写真業組合長吉川善八郎間の境内地使用に関する契約書(甲第二号証)の第三条第四条にそれぞれ控訴人主張のような規定があり、右覚書と契約書の右規定の関係が控訴人主張のとおりであることを認めることができる。しかし、右規定(約定)は、既に認定したような目的と必要から作られたものであるばかりでなく、奈良県、東大寺、興福寺及び被控訴人は、いずれも独占禁止法第二条にいわゆる事業者でないことが明らかであるから、右規定ないし契約は何ら私的独占禁止規定に反するものではない。従つて、右規定ないし契約が独占禁止法に反することを前提とする控訴人の(二)の主張は理由がない。

次に、控訴人の(三)の主張につき考える。控訴人は、本件の実質的原告は、春日大社境内写真業組合吉川善八郎外三名で、被控訴人はただ形式上原告になつたにすぎないと主張するが、右主張にそう原審及び当審における控訴人本人尋問の結果は、後掲の証拠と対比して信用できないし、他に右主張事実を認めるに足る証拠はない。かえつて、原審証人西田登の第一、二回証言、原審における被控訴人代表者本人尋問の結果によると、被控訴人は、控訴人が前記のように本件境内地内で写真業を営んでおり、被控訴人からその禁止を求めたが控訴人がこれに応じないので、前記組合員とは関係なく、本訴を提起したことを認めることができるから、控訴人の右主張は採用できない。そして、既に認定したところにより明らかなように、被控訴人は、控訴人が本件境内地内で何らの権原に基くことなく写真業を営んでいるので、右境内地の所有権に基き、控訴人に対し右境内地内で業として写真撮影をし又は右業務のための看板を立ててはならない旨の判決を求めるのであるから、当然の権利の行使であつて、権利の濫用であるということはできない。従つて、控訴人の(三)の主張も採用することができない。

以上の次第で、被控訴人の本訴は正当であるから、認容さるべきである。右と同趣旨の原判決は相当であつて、本件控訴は理由がないからこれを棄却すべく、民訴法第三八四条第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 熊野啓五郎 岡野幸之助 山内敏彦)

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